悩める若手大学職員のブログ

今後のキャリアプランに悩む大学職員です。日々感じたことや読んだ文献を記事にします。更新は不定期です。

書評:ブライアン・カプラン著,月谷真紀訳(2019)『大学なんか行っても意味はない?教育反対の経済学』みすず書房

本書の主張を要約した一文は「学業で成功するのは良い仕事を獲得するには良いが、良い仕事をするすべを学ぶ方法としては役に立たないと私たちは認めなければならない」(407頁)です。この引用からわかるように、本書は教育の意味を大きなテーマとしています。教育という分野はある種の「綺麗ごと」が多い分野・業界であり、教育に携わる人たちは綺麗な「理想」を叫ぶ一方で、見て見ぬふりをしている「現実」もあるかと思います。本書はその現実を躊躇なく、しかも根拠を示しながら突きつけてくるので、教育に携わる仕事をしている評者も読み進めるごとに「ドキッ」とさせられました。あくまでもアメリカ社会を前提としている研究ですが、日本の実情と合致する部分も多く、これまで自分が学んできたこと、支持してきたこと、既知の研究成果に対して多くの疑問が浮かんできました。

公共経済学を専門としている「頑固なリバタリアン」(302頁)である著者は、定量的な手法を駆使してドライに、教育の意味を分析しています。「人的資本論」と「シグナリング論」を対比しながら分析を進め、あくまでも「人的資本論」を否定するのではなく、その割合を「人的資本:シグナリング=20:80」と結論づけ、その前提に立ち、教育への公的支出について提案を行います。かなりボリュームがある書籍であり、一章ずつ丁寧に感想や疑問点を書き連ねていくことは(評者の力量的に)難しいので、ざっくりと良かった点と疑問点を整理したいと思います。

 

良かった点

・包括的な先行研究のレビュー

筆者は経済学を専門にしていますが、教育に関わるあらゆる分野(教育心理学、教育社会学等)からエビデンスを収集しており、包括的に教育の意味や効果を分析しようとしている点が非常に良かったです。特に第二章「実在する謎ー無益な教育の遍在」では、大量の先行研究をもとに教育によって生徒・学生が教育によって本当に成長しているのかを論じています。大学業界でバズワード(もしくは既にバスり終えて常識に)になっている「学習成果」に関心がある方は、この章だけでも読むことをおすすめします。

・予想される反論に対する説明も用意している点

筆者は、非常に刺激のある主張をしている箇所に対して読者が抱くであろう反感・反論を予想し、その反論に対する反論も用意しています。筆者の主張に対して「でも〇〇は××ではないか?」「△△の場合はどうか?」と考えながら読み進めると、待ってましたとばかりにこちらの疑問点や指摘に対する反論が用意されていました。

・徹底的に量的に教育の意味を測ろうとしている点

「測りすぎ」の感はありますが、どの章においても量的な手法によって各章のテーマが分析されており、筆者は「けっしてわからないと言って逃げない。あらゆる関連分野から最善の入手可能なエビデンスを集めようと努めて」(225頁)います。教育社会学の分野では、メインの分析は量的に進めつつも最終的に観念的な考察や測れない部分についての配慮でもって文献(研究)の締めとする場合も多いです。そんな中、「逃げずに」徹底的に数値で測ろうとする筆者の姿勢は新鮮で刺激的でした。

 

疑問点

・先行研究の整理や掲示について

 先行研究が包括的である点は良い点として挙げましたが、その分野が広範囲にわたるからこそ、先行研究(特に教育心理学)の解釈に問題がないのか疑問に感じました。また、筆者はたびたび重要(だと筆者が主張するよう)な先行研究を提示する枕詞として「主要な」「著名な」「有力な」「本格的な」などの言葉を添えています。なぜ筆者が提示する文献が、主要なのか、著名なのか、有力なのか、本格的なのか、その主張の根拠が必ずしも明確ではなく、提示する先行研究の選択に筆者のバイアスがかかっているのではないかと感じました。この点については引用された文献の分野で活躍する専門家からの反応についても知りたいところです。

・教育の社会的なリターンについて

 教育が社会にどれだけのリターンをもたらすのか、あらゆる指標(犯罪率や健康面も含めて)を用いて分析しています。ただ、「社会」という範囲はあまりにも広く、拾い切れていない指標もあるように感じました。矢野(2019)では日本において大学卒業者がもたらす社会的便益についての分析がなされていましたが、その中で出てきた「スピルオーバー効果」(矢野、2019、176頁)については、特に本文中で指摘がなかった気がします(読み逃していなければ…)。

・本書の焦点について

本書は被教育者の行先として「労働市場」に非常に重きを置いており、その前提のもとに様々な議論が展開されています。本書の議論や筆者の主張は、「教育は「労働者」にとって意味があるのか」「大学は労働市場にとってどのような貢献をしているのか」という議論では非常に価値が高いのかもしれませんが、「教育」や「大学」の持つ他の役割についての議論においては相対的に価値が下がるかもしれません。筆者は「カリキュラムの贅肉を落とすこと」と「授業料の助成金を削減すること」を主張しますが(286頁)、この主張も、教育・大学の役割をもっと広く捉えたうえで議論されるべきかと思います。

 

最後に

非常に面白く読むことはできましたが、正直なところ、専門外の経済学の色の濃い文献であり、翻訳書であり、米国社会を前提としている本書をちゃんと理解できたとは言えません。 特に後半の政策提言については目が滑ることが多かったです…。ただ、本書の主張や問いかけは教育の本質にも関わるものであり、これから長年かけて答えていかないといけないものだと感じました。もう少し知識を増やし、自分なりの考えを持てるようになってから本書を改めて読み返したいと思います。

 

www.msz.co.jp

【参考文献】

矢野眞和(2019)『大学の条件 大衆化と市場化の経済分析』東京大学出版会